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株式日記と経済展望 植民地というのは宗主国の言語をうまく話すことができる人間と、階層差が生じる場所のことである。 [政治]

株式日記と経済展望 植民地というのは宗主国の言語をうまく話すことができる人間と、階層差が生じる場所のことである。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/4187045847fc35c622362ae0db32aea6 より

植民地というのは宗主国の言語をうまく話すことができる人間と、そうではない人間の間に乗り越え不能の階層差が生じる場所のことである。
英語の未来 8月26日 内田樹
『中央公論』8月号が「英語一強時代 日本語は生き残るか」という特集を組んでいた。読みでのある特集だった。『日本語が亡びるとき』で問題提起をした水村美苗さんのインタビューが最初にあって、重要な指摘をしていた。

一つはイギリスのムスリムの女性学者ふたりが日本を訪れたときに水村さんに言った言葉。

「その時、彼女らが、『日本では英語がまったく通じない。なんて気持ちのいい国なんでしょう』と言うのです。日本においてはみなが日本語で通じ合い、英語で通じ合えることがリートのサインではない。英語ができる人が威張っており、収入もよく、社会の権力側に立つという構造になっていないと言うのです。パキスタンでも、インドでも、それからブラッドフォードでも、英語が流暢か流暢でないかによって、階層が作り出されている。現に彼女たちの親は、その英語のアクセントで、たんに言葉が流暢ではないというという以上の意味をもって、差別されている。

 私は日本にはそういう構造の社会にだけはなってほしくないし、そうなるのを免れた歴史を大事にしてほしいと思うのです。世界を見回せば、インテリが読む言語は英語で、それ以外の人が読むのが現地語だという国がいかに多いことでしょう。」(水村美苗「言語の植民地化に日本ほど無自覚な国はない」、『中央公論』2017年8月号、中央公論新社、28頁)

「私は最近いよいよごく少数を除けば、日本人は日本語が堪能であればよいのではないかと考えるようになっています。非西洋圏でここまで機能している言語を国語として持っている国は本当に珍しいのです。エリートも庶民も、全員当然のように日本語で読み書きしているという、この状況を守ること自体が、日本という国の使命ではないかとすら思います。」(同書、29頁)

前半の引用には私は全面的に賛成である。言語(それも会話時の発音)による階層差別をverbal distinction と言う。肌の色でなされる差別と構造的には同じである。口を開けば一瞬でその人が「自分たちの仲間であるかないか」が判定できる。

バーナード・ショーは(今日はショーさんの出番が多い)『ピグマリオン』(『マイ・フェア・レディ』のオリジナル戯曲)の冒頭で、口を開けば出身地や所属階層や学歴や職業までがわかってしまうイギリスの言語状況を嘆き、全員が所属階層にかかわりなく「美しい英語」を語る理想的な言語環境を望見するヘンリー・ヒギンズに演説を語らせる。

もちろん、そんなことは不可能なのであって、ヒギンズはすさまじいコックニー訛りで話すイライザが「王族のような英語」を語り出すと、彼女の言葉が指示する所属階層に(それが虚構と知りつつ)魅力を感じてしまうのである。

言葉による差別というのは、一度始まると止めることができない。
植民地というのは宗主国の言語をうまく話すことができる人間と、そうではない人間の間に乗り越え不能の階層差が生じる場所のことである。
水村さんが「植民地化」と言っているのは、そのことである。

第二の引用については、私は同意したいのだが、根拠がまだ不確かなのである。
ほんとうに外国語ができる人間は「ごく少数」でいいのか、わからないのである。
一つには私自身が「外国語を学ぶ」ことが大好きだからである。

私は中学生になって初めて英語と漢文を学んだけれど、この二つの「外国語」に同じくらい強く惹きつけられた。二つの科目の授業を心待ちにしていた。
それは外国語の有用性によってではない。

漢文の知識をいくら仕込んでも受験以外にそれを発揮する機会など現実にはほとんどない。
英語で会話したことも二十代後半まで一度もなかった(私が生まれてはじめて英語で会話をした相手は自由が丘道場に来たイギリスの青年で、彼に合気道の技を説明をしたのである)。

それでも外国語を学ぶことはつねに私を高揚させた。母語とは違う文法、違う語彙、違う音韻を通じて、母語的現実とは違う世界に触れることができるということが私を興奮させたのである。
そういうことが「好きだ」という子どもは一定の比率でいるはずである。それは決して「ごく少数」ではないという気がする。そして、どの子どもが外国語の習得を好むかを、外国語学習に先立って選別することはたぶんできないと思う。

ただ、ここに私がこれまでほとんど考えたことのない変化が生じてきた。それは自動翻訳の長足の進歩である。これについては特集の最後に置かれた専門家二人の対談が興味深かったので、それを紹介したい。

自動翻訳はいま三世代目に当たる。第一世代は「ルールベース翻訳(RBMT:Rule-Based Machine Translation)」文法をプログラム化してコンピュータで動かす。難点は精度を上げようとすると規則の数がどんどん増えて管理が難しくなること。第二世代が「統計翻訳(SMT: Statistical Machine Tranlation)。大量の対訳データを覚えさせて、ある文が何を意味するかを統計的に処理する(例えば「何で来たの?」という文が「交通手段」についての問いなのか、「理由」についての問いなのか、あるいは「帰れよ」という促しなのかを統計的に判断する)。第三世代が「ニューラル翻訳(MMT: Neural Machine Translation)」。対訳データを大量に仕込むのだけれど、学習方法に「深層学習」というアルゴリズムを用いる。

今の機械翻訳はすでにTOEIC600点くらいのところまで来ていて、2020年には700点か800点に達する見込みだそうである。
これがスマートフォンに装着されると、日本語をしゃべると英語音声に翻訳されるということができる。『ドラえもん』の「ほんやくコンニャク」みたいなものである。

ニュアンスの難しい翻訳や文学の翻訳は人間の手に頼るしかないが、「平均的なこと、陳腐なことなら機械は得意です」(隅田栄一郎、内田麻理香、「英語を勉強しなくてもいい時代がやってくる?」、同書、64頁)。学術論文のようにフォーマットが決まっていて、かつ一意的であることが必須の文章の場合は自動翻訳で問題ないそうである。

自動翻訳の専門家である隅田はこう言う。

「翻訳者、通訳者、外交官などは英語を勉強しなきゃいけないと思います。そういう人たちって何%くらいでしょう。1%くらい? (…)だとすると、99%の人は中学校や高校で英語を勉強しなくてもいいじゃないかと思うんです。今や小学校でも英語を勉強することになっていますが、自動翻訳機械で代替できるという意味ではその必要はないのではないか。」(65頁)

もちろん「異文化教育」は必要だけれど、自動翻訳でコミュニケーションのハードルが下がれば異文化との接触機会はむしろ増す。
何よりも英語に投じていた学習リソースをそれ以外のものに振り向ければ子どもたちの知的なパフォーマンスは高まる可能性もある。

英語学習枠組みそのものが根本的に変わると予測されている時に、なぜか日本の教育行政は「小学校から英語を勉強させる」という、悪くすると10年も経たないうちにまったく無駄になる学習プログラム改革を膨大な手間暇をかけて実行しようとしている。

同じことは脱原発や電気自動車へのシフトなどの遅れにも見られる。
今が世界史的な変化のただ中であるということをまったく自覚しないで、10年前20年前の「常識」と「既得権益構造」に居着いている日本の政策決定者たちの脳内にどのような未来が見えているのか、私にはまったく理解の外である。

(私のコメント)
「株式日記」では英語の問題について何度も書いてきましたが、10年間にわたって日本の学生に英語を教えてきても、ほとんど英語が話せない学生がほとんどだということだ。これほど無駄なことがあるだろうか。10年間も英語を学んでも話せないといったことがコンプレックスの元になってしまう。

だから馬鹿な日本の政治家と文部省官僚は、小学校から英語を教えれば英語が話せると考えたようだ。しかし日本語がまだ不完全な小学生に英語を教えても、頭が混乱するだけであり、ますます英語嫌いを増やしていくだけだろう。もちろんグローバル化時代に英語が話せる重要性は高まっている。

グローバリズムの本質は、見えない帝国主義のことであり、1960年代までに多くの植民地が独立していってヨーロッパの帝国は解体した。帝国側の支配者は植民地を直接支配するよりも、植民地を独立させてその支配層を支配することでソフトな植民地支配を継続することを思いついた。そうすれば誰にも気づがれずに支配することができる。

だから大英帝国や大米帝国は、旧植民地から多くの留学生を招いてエリート教育を施した。いずれも英語国家だから英語が事実上の世界の公用語のようになってしまった。だから旧植民地国家のエリートはみんな英語が話せて、それがエリート階級を形成する手段になっている。国際会議でも世界のエリートはみんな英語が話せる。

グローバルな帝国主義時代では、世界のエリートが横に連携をとることで、各国の現地人を支配して富を巻き上げていくシステムのことであり、英語がその情報伝達手段になる。特に金融取引などは英語ができなければ全くわからない世界で有り、日本の金融業界でも英語ができなければ情報戦で負けることが現実になってしまった。

日本のバブル崩壊は金融情報戦に負けたことであり、85年のプラザ合意の本質に日本の政治家も経済人も経済学者などもなかなか気がつかなかった。だから為替の自由化なども日本の大蔵省は最後まで抵抗しましたが押し切られてしまった。金融の自由化なども次々と決められていきましたが、これも金融帝国主義なのだ。

現代では情報はネットであっという間に世界中に広まって行きますが、それは英語によって伝わっていく。金融情報戦争の時代では、1分1秒の判断の遅れが金融戦争における勝者と敗者を分ける戦いだ。だから英語を母国語とする人たちと、英語を外国語として学んだ人との格差がどうしてもついてしまう。

金融のみならず、医学の世界でも最先端の医学は英語で情報発信されているから、ドイツ人でも英語ができなければ医者にもなれない世界になってしまった。医学論文なども英語で発表されなければならず、科学の世界でも同じだ。だからノーベル賞学者は英語で講演をするのが習わしになっている。

このように英語による世界支配は、かつての18世紀から20世紀の米英の世界覇権国家体制から生じたものであり、英語の世界公用語化とポンドからドルへという世界基軸通貨体制を握っておけば世界支配体制は維持できるという事なのだろう。だから中国がいずれ世界の覇権国家になるといった予想も外れることになる。中国語や人民元が世界のスタンダードになるとは思えないからだ。

中国や韓国などは、アメリカに大量の留学生を送り込んでいるが、日本からアメリカへの留学生は戦後の一時期を除けば激減している。中国が27万人、インドが10万人で、韓国が7万人ですが、日本は2万人で台湾より少ない。この原因としては複雑でよくわかりませんが経済的な理由だけだからだろうか。

中国、韓国、台湾などは大学教育はテキストが英語であり、どうせ英語で学ぶなら本場のアメリカに留学したほうがいいということになるのでしょう。だから中韓台の大学生は英語が流暢であり、英語ができなければ高等教育が受けられない。教科書も全部英語なのだ。日本の大学はまさにガラパゴスであり、世界でも別世界になりつつある。

だから英語を学ぶためにアメリカに留学するよりも、台湾やフィリピンの大学に留学した方が費用も格段に安くできる。私も若ければアジアの大学に留学して国際親善をしたいものですが、アメリカやイギリスの大学は費用が高くてバカバカしい。

台湾で英語を学べ!?アジア圏留学をオススメする5つの理由 2013年12月26日 

1.アジア圏の大学の公用語は英語

まず一つ目の利点は英語ネイティブの留学生の多さにあります。

ぼくが経験した台湾留学では世界中から多種多様な学生と出会うことができました。

その学生の例としては、台湾の原住民族の文化を学びに来ている考古学専攻のノルウェー美人、

両親は中国人だがアメリカ生まれという中華系アメリカ人の美人、

さらにはひい爺さんが台湾人だと主張する虫が好きなオタクナード女子、

イギリス英語を流暢にしゃべるアジア系フランス人のプレイボーイなどまさに多彩。

もうきりがありません。

総じて台湾に留学に来る留学生には以下の3種類のタイプが多かったです。
•自分の起源を探りたいアジア系欧米人
•アジアという文化に興味を持った欧米人
•中国語を学びたいアジア諸国からの留学生

上に挙げたような留学生たちとコミュニケーション手段はもちろん英語です。

英語を使わないと、ハラハラドキドキの飲みゲームに参加できないし、ましてや、邪悪な空気に包まれるダンスクラブで一緒に踊るなんてことはできません。

したがって、留学を最大限にエンジョイするにはどうしても英語を使わざるを得ない状況にあるのです。

台湾でのぼくの留学先では日本人は一人しかいなかったので日本語を使う機会などほんのわずかでした。

むしろ日本語を忘れるのが怖いほどでした。実際、英語を真剣に学びにいったアメリカ留学時より英語を使うチャンスに満ち溢れており、

中国語よりも英語の運用能力が向上したのは間違いありません。

さらに追加情報です。

台湾のいまの若者はたいてい英語が話せます。

高齢者や中年のママ・パパ世代をのぞけば英語で意思疎通が可能ですよ。

中国語音痴にはじつにありがたい話です。(後略)

(私のコメント)
中韓台がこのような状況だから、英語帝国主義は確実に実現しつつある。世界中の国が英語のできる階級と現地語だけの階級の二つに分かれる。日本の大学も英語で授業という所もあるが、日本の大学だけが特別であり、テキストも日本語であり教授も日本語で授業をしている。英語レベルを上げたいのなら中韓台などの近場の大学に留学したほうが安くてメリットがあるから、アメリカへの日本人留学生が減っているのだろう。

日本はかつて300年近く鎖国をしていましたが、キリスト教に対する鎖国であり近代文化はオランダから学んできた。蘭学と言いましたが、蘭学を通じて日本は日本語に翻訳して学ぶという手段をとってきた。医学も蘭学を通じて学びましたが、明治以降も科学用語を日本語に翻訳してきた。しかし中韓台などでは翻訳などせず英語のテキストで学んでいる。中韓台語では近代科学用語を翻訳ができないからだろう。
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