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株式日記と経済展望 人種とジェンダー戦争に夢中になって、アメリカは崩壊するだろう。 [政治]

株式日記と経済展望 人種とジェンダー戦争に夢中になって、アメリカは崩壊するだろう。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/cdc3b65f837fa4eaff16c2a57c1fe166 より

おそらくロシアと中国が我々を地表から吹き飛ばさなければならなくなる前に、人種とジェンダー戦争に夢中になって
、アメリカは崩壊するだろう。
アメリカではプロパガンダが真実を征服した 8月17日 Paul Craig Roberts
デューク大学があるノースカロライナ州ダーラムで、大半が白人男性の無法者連中が南部連合国兵士の彫像を引き倒して公共財を破壊した。おそらく連中は、民主的に選ばれた政権を打倒したアメリカの画策によるクーデターの後、オバマとヒラリーがウクライナに据えつけたネオナチからヒントを得たのだ。オバマが据えたネオナチ新政権が最初にしたことは、ウクライナをナチス・ドイツから解放したソ連の戦争記念碑全ての破壊だった。戦争記念碑を破壊したネオナチは、ナチス・ドイツ側について戦ったウクライナ人の子孫だった。これらネオナチが“民主主義”の政府、オバマとヒラリーがウクライナにもたらし、アメリカ政府と、そのヨーロッパ諸属国が支持している政府を構成しているのだ。

ダーラムでの公共財破壊で一体何が達成されたのだろう、警官はどこにいたのだろう?

事件の映像は、狂った白人、主に白人男性の集団が、ブロンズ像を蹴り、唾をかけ、まるで彫像が反撃するかのように、後ろに飛んで下がる様子を映している。無知な狂った憎悪の誇示だ。

この憎悪の起源は一体何で、一体なぜそれが彫像に向けられたのだろう? デューク大学の学生たちの可能性が高いのだが、無知な無法者連中にとって、破壊された彫像は、奴隷制度の象徴なのだ。

南部連合国兵士と奴隷制度を、無知ゆえに結びつけるのは、知られているあらゆる歴史に矛盾する。南部諸州の奴隷制度は、プランテーションとして知られている広大な農業区画に限定されていた。奴隷は農業労働力だった。この組織は、南部連合国やアメリカ合州国そのものより、ずっと歴史が古い。それはヨーロッパの経済権益者連中によって、新世界が植民地化された時から受け継がれてきた仕組みだった。奴隷制度は、南部が発明したものではない。奴隷制度は、利用できる資源がありながら、労働力が存在しなかったがゆえに、独立宣言よりずっと以前に導入されたのだ。

最初の奴隷は、白人奴隷だったが、彼らはマラリアや黄熱病でバタバタと死んでいった。次に先住アメリカ人(“インディアン”)が奴隷として利用されたが、彼らは働こうとしなかった。その頃、アフリカ人の中には、マラリアに免疫があり、黄熱病に耐性がある人々がいることが発見され、とうとう労働力が見つかったのだ。毎年、お互いに、戦利品が奴隷の戦争をしているアフリカの諸部族から奴隷が購入された。私が最初の著書を捧げた私のユダヤ人オックスフォード大学教授で優れた物理化学者で哲学者、マイケル・ポランニーの弟、カール・ポランニーなどの社会主義者の歴史家が、アフリカの黒人が行っていたアフリカ人奴隷貿易の詳細かつ正確な歴史を書いている。

南部連合国兵士は奴隷を所有していたわけではなく、誠実な歴史学者なら誰でも知っている通り、彼らは奴隷制度のために戦っていたわけではない。彼らは自分の国が侵略されたがゆえに戦っていたのだ。

アメリカ合州国がそうではなかったのと同様、南部連合国は彼らの国ではなかった。彼らの国は、州だった。当時、人々が忠誠心を持っていたのは州だった。彼らは州を自分の国だと考えていた。彼らにとって、アメリカ合州国は、フランス人、イタリア人、オランダ人、イギリス人などにとってのEUのようなものだった。フランス人は今でも自分たちのことをフランス、not as EU.

ロバート・E・リーが北軍を指揮するよう要請された際、彼はバージニア州のことを言っていたのだが、自分の国に戦争をもたらすわけには行かないという理由で断ったのを想起願いたい。

リーの軍隊は北バージニアの軍隊だった。

リンカーン大統領が再三言っていた通り、戦争は奴隷制度とは無関係だ。“アメリカ合衆国保持”つまり帝国保持のためだった。もし南部が分離することを認められれば、ミシシッピー川の西側の広大な土地を巡って、二つの国が競合することになる。ワシントンの駆け出しの帝国はそのような競合を望んではいなかった。

もし南部が分離を認められていれば、北部は、より安価なイギリス製品に関税を課すことによって、南部に売りたいと思っている北部の相対的に高価格な製品の市場を失うことになる。

南部は正当にも、南部は二重に打撃を受けることになるだろうと判断した。北部からの高価格の商品と、南部からの綿輸出に対するイギリスによる報復関税だ。

北部と南部との間の、この経済紛争は、それが連邦脱退を引き起こすまで、長期間続いていたのだ。左翼アメリカ人歴史学者チャールズ・ベアードは、いわゆる“内戦”を、それを引き起こした経済的条件で説明している。戦争は奴隷制度とは一切無関係なのだ。

“内戦”という呼び方そのものがウソなのだ。内戦というのは、政府の支配を巡って、二者が戦うもののことだ。南部は、アメリカ政府を支配するために戦っていたわけではない。南部は北部が侵略したがゆえに戦っていたのだ。

リンカーンは奴隷を解放しなかった。しかもリンカーンが暗殺されていなければ、彼が白人より劣ると考えていた黒人をアフリカに送り返すのが彼の計画だった。これは“陰謀論”ではない。これは文書証拠のある事実だ。この文書証拠のある事実を反証するなど全く不可能だ。

奴隷解放宣言はプロパガンダだった。狙いは二つあった。一つは奴隷制度廃止論者を黙らせることだった。もう一つは、故郷の女性と子供たちを守るため、南部連合国の軍隊を戦線から撤退させるはずの南部諸州での奴隷反乱を助長することだ。リンカーン自身の国、務長官ウィリアム・H・スワードが、我々は我々に管轄権がない場所で奴隷を解放し、我々が管轄している所では、奴隷を、奴隷制度に置いたままにしていると述べた。スワードの正確な言葉はこうだ。“我々の手の届かない場所では奴隷を解放し、我々が彼らを自由の身にできる場所では奴隷のままにしておくことで、我々は奴隷制度に対する共感を示している。”

左翼歴史学者のリチャード・ホーフスタッターは、リンカーンは、彼に何の権限もない奴隷だけ解放したと、リンカーンの奴隷解放宣言をからかった。

リンカーンが狙ったのは、奴隷の解放ではなく、奴隷が南部の女性たちを強姦し、南部の子供たちを殺害するのを誘発し、彼の将軍連中では打ち破ることができない南部軍をリンカーンによる奴隷の反乱から自分たちの家族を守るべく、戦線を離脱し、帰郷するのを余儀なくさせることだった。

ところが、女性と子供たち以外に、彼らを支配する連中が誰もいなかったにもかかわらず、奴隷は反乱しなかった。すると、これは一体どういう圧制だったのだろう?

ロバート・E・リーとの交戦時、北軍は、常時、二乃至、三対一、そして時には、それ以上に、人数で南軍を上回っていたにもかかわらず、リーの北部バージニア州軍は、戦争の最初の二年間、戦闘で敗れたことがなく、リンカーンは無数の将軍たちを使い果たしてしまったがゆえに、奴隷反乱を引き起こすことを狙って、リンカーンは奴隷解放宣言をしたのだ。もし南部の人口がもっと多ければ、南部による戦勝の数で、ワシントン占領と、終戦に終わっていたはずだ。だが南部には、軍事勝利を得続けるだけの十分な数の兵士が決していなかった。対照的に、北部にはアイルランドからの無限の移民供給があり、その大半がアメリカ帝国のために亡くなった。

北部での戦争反対は強かった。リンカーンは北部の新聞所有者や編集者300人を逮捕、投獄し、アメリカ国会議員たちを追放せざるを得なかった。

奴隷制度は、南部が作り上げたものではなく、受け継がれた制度だった。奴隷制度は、南部への移民が労働人口を形成し始め、過剰耕作されたプランテーションの土地が肥沃度を失い始めることで、次第に消滅していたはずだ。奴隷制度は、新たな移民が、現地の労働力になるのではなく、西へと向かい、インディアンの土地を占拠して、自営農家になったがゆえに、あれだけ長く続いたのだ。

もちろん奴隷制度廃止論者連中は、出来る限りのあらゆる南部憎悪を作り出した。実際、私は人生のほとんどを南部の外で暮らしてきたが、リベラルが白人に対する黒人の人種的憎悪を醸成するのを目にしてきたし、フェミニストが男性に対する女性のジェンダー的憎悪を醸成するのを見てきた。憎悪はリベラルの大義なのだ。それが彼らの特徴だ。

愚かなリベラルが、人種やジェンダー間での社会的反目の種をまいた。その結果、アメリカは破壊されることになろう。

おそらくロシアと中国が我々を地表から吹き飛ばさなければならなくなる前に、人種とジェンダー戦争に夢中になって、アメリカは崩壊するだろう。

Paul Craig Robertsは元経済政策担当の財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリプス・ハワード・ニュー ズ・サービスと、クリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼 の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the West、HOW AMERICA WAS LOST、The Neoconservative Threat to World Order.が購入可能。
記事原文のurl:http://www.paulcraigroberts.org/2017/08/15/america-propaganda-vanquished-truth/

(私のコメント)
アメリカ合衆国は、多くの歴史的な十字架を抱えて来ていますが、そのためには歴史をプロパガンダで捻じ曲げてきた。しかし民主主義国家であり言論の自由はアメリカという国家の基本理念だから、完全にプロパガンダで捻じ曲げることができない。そのへんが中国とは異なる。

中国にとってはプロパガンダこそが歴史であり、真実がどうであるかはどうでもいいことだ。だからアメリカにおいての南北戦争は内戦扱いで歴史教育が行われているが、南北戦争以前はそれぞれの州が国家だったのだ。南北戦争と奴隷制度とは関係がなく、経済対立から起きた戦争であり、北部同盟諸国は南部連合国に工業製品を高く売りたかっただけなのだ。

南部諸国はイギリスに綿花を輸出していたが、イギリスから安い綿製品が入ってきたが高い関税をかけられて南部に綿製品が高く売られる構造になっていた。つまり北部同盟諸国に関税がピンはねされることになった。南部にとっては自分たちが輸出した綿花がイギリスで綿製品となり北部が関税をかけて南部に売りつけてきたのだ。

だから南北戦争は奴隷制度とは関係なく起きた戦争であり、しかしアメリカのプロパガンダとしては、南北戦争は奴隷解放戦争であり、奴隷解放を戦争に利用した北部同盟が勝利しただけなのだ。南部が北部の経済略奪に抗議して分離独立の動きが起きたのですが、イギリスからの安い綿製品に関税をかけて、自分たちの綿製品を高く南部に売りつけたのが戦争の原因だ。

リンカーンの奴隷解放宣言は、戦況が不利なので南部の後方攪乱のための宣言であり、リンカーンが必ずしも奴隷解放論者だったというわけではない。また南部の連合諸国の兵士も奴隷制度支持者というわけではなく、だから南北戦争は奴隷解放戦争ではないのですが、現代のアメリカ人の多くがリンカーンを奴隷解放の立役者として信じている。

知的レベルとしては、アメリカ人も中国人も同じようなレベルだから、南北戦争は奴隷制度をめぐる戦争であり、北軍が勝利して奴隷が解放されたとしたほうが政府当局にとっても都合がいい。そうすればリンカーン大統領は歴史に残る名大統領ということになる。

しかし戦争をしなければならないような状況ではなく、関税をめぐる争いだからリンカーン大統領が少し妥協すれば50万人もの兵士が亡くなるような戦争をする必要はなかった。戦争を始めるような政治指導者はロクなのがおらず、チャーチル首相もルーズベルト大統領も、歴史を調べればロクでもない人物だ。

ロクでもない大統領や首相だったからこそ戦争が起きたのであり、戦わずして勝つのがベストであり、ヒトラーやナポレオンも馬鹿だから戦争を始めた。結果どうなったかは歴史を見ればよくわかる。戦争をするにしても勝つ条件が整うまで待つべきであり、勝ったあともよく考えておかないと勝っても厄介なことになる事もある。

相手が大国でありどうやっても勝てないのなら、6月22日に書いたように、何度負けようが生き残るのが第一であり、戦わずして負けるのも方策の一つだ。日本はアメリカと戦って負けましたが、72年間にわたって日本を占領し続けている。核兵器という非人道的兵器を使ってアメリカは勝利しましたが、日本はなんとか生き延びた。

島津氏の例を見てもわかりますように、目先の勝負に何度敗けようが、つねに「生き残ること」に全神経を注いだ者が最終的勝者となります。6月22日 株式日記
アメリカに勝つには、アメリカが内乱で分裂状態になるのを待つべきであり、今回の人種問題は大きな切り札になる。「敗けたならば敵が弱るまで待つ」のが大戦略であり、私のような天才的戦略家としては、アメリカが内乱状態になって分裂状態になった時に備えてチャンスを待つべきなのだ。

トランプ大統領やバノン首席補佐官のような白人優越主義者がアメリカには沢山おり、大東亜戦争の頃のアメリカは白人優越主義国家であった。それを覆したのが日本であり、大東亜戦争は人種差別撤廃の戦争であった。その結果、アジアやアフリカ諸国が相次いで独立して、大英帝国は滅んだ。大米帝国もいずれは滅びる。
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