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中韓を知りすぎた男 朝鮮人特有の精神欠陥 10月24日(水) [政治]

中韓を知りすぎた男 朝鮮人特有の精神欠陥 10月24日(水)
http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-1183.html より

前回は三国時代の新羅の裏切りについて書いてみました。

朝鮮族が二千年を経た今も、何故屈折した精神を持ち続けたまま、人格障害
に陥ってしまったのかを、歴史を検証して解き明かしていきたいと思います。

朝鮮族の悲劇は二度にもわたって、内部の敵によって国が滅ぼされたことで
す。韓国が未だに病んでいる決定打は二度目の裏切である地獄の李朝時代
が518年間も続いた事です。

それでは李朝時代がどのような、おぞましい時代であったかを歴史を追って
検証してみます。

新羅は唐の属国に成ることによって、背後から百済と高句麗を攻め滅ぼした。
9世紀に入ると新羅は中央の権力が弱体化して国内が乱れ、地方で豪族が
群雄割拠するようになった。そして936年に高麗朝と交代します。高麗朝は仏
教文化が興隆し大いに栄えた。

しかしモンゴルがアジア大陸において勢力を大きく伸ばし1231年には高麗
へ第一次侵攻をおこなった。そしてチンギス・ハーンの末っ子のフビライハン
が中国統一を成し遂げ、元朝を樹立しました。

モンゴルは1270年再び大挙して来襲し、高麗本土に侵入し、戦闘虚しく征服
される。その後、元朝は14世紀半ば内部分裂し、明朝が元朝を倒して、中国
を統一します。その後明が混乱すると、かって新羅の裏切りによって失った
満州から沿海州にかけての旧高句麗領を取り戻すべく軍を向かわせます。

ところが高麗の司令官であった李成桂は、軍勢を率いて進軍中に、ことも
あろうに敵である明と戦う事なく、平壌に引き返し、クーデターを行なった、
高麗は外敵明と通じた裏切り者によって再び滅びます。

裏切った李成桂は、1392年に李朝を創建するとともに、明の臣下の礼を取り
朝鮮は再び中国の属国になりさがってしまった。李朝は明を天子の国と仰い
で、中国文化をそっくり模倣します。その結果、中国文化の悪いところが、全
て移入された。
高麗王朝から王位を奪い、李氏朝鮮初代の王になった李成桂は、朝鮮という
国名も明に選んでもらいます。

16世紀末から17世紀半ばにかけて、朝鮮はそれまで小国視していた日本の
秀吉に一時は国土の大半を占領されるまでの敗北をきし、対日優越意識が
打ち砕かれる。敗北の衝撃は今日まで続いています。

最近の韓国で、もっとも嫌われている日本の人物の代表といえば、豊臣秀吉
だそうです。理由は、文禄、慶長の役(ぶんろく、けいちょうのえき)で朝鮮半
島に攻め込んだからなのだそうです。

韓国の教科書では逆に豊臣秀吉軍のこの出兵に際し、日本と朝鮮半島の
海峡で戦った李舜臣は、まさにヒーローとされています。
韓国の教科書のよると、李舜臣の戦いによって、日本は海上を封鎖され
朝鮮半島への補給路を断たれた日本は、半島からの敗退を余儀なくされた
と記述されています

韓国人にとっては歴史はファンタジーですから、そう「思い込みたい」気持
ちもわからないでもありませんが、事実関係はまるで異なります。

李舜臣についていえば、なるほど朝鮮の海将として文禄元1592年8月29
日に釜山港を占領していた日本軍に戦いを挑んでいますが、あえなく敗退
しています。また、慶長3(1598)年)年11月18日の露梁海戦では、明国と朝
鮮の連合軍の指揮を執りながら、日本軍の戦力の前に、戦死しています。
李舜臣によって、日本が海上補給路を断たれたという事実は、どこにもあ
りません。

首都を放棄した朝鮮国王宣祖は、明の援軍を仰いで連合軍となってこれに
抵抗しようとした。明は戦闘が遼東半島まで及ばぬよう日本軍を阻むために
出兵を決断しました。

双方に決定的な戦果のないまま、1598年太閤豊臣秀吉の死をもって日本軍
の撤退で終結し、未決着のまま終息します。戦役の影響は、明と李朝には
傾国の原因となる深刻な財政難を残した。朝鮮側は戦果を補うために捕虜を
偽造し無関係の囚人を日本兵と称して明に献上せざるを得なかった

朝鮮はこうした滅亡の危機を明の援軍に救われたことで李朝はますます明を
慕い尊敬の念を新たにします。しかし明が滅亡して清が台頭すると、李朝は
二度にわたり抵抗するが大敗し、国王自ら清への服従を申し出ます。

李朝は、新たな中国の支配者になった清を中華文明の後継者とは認めがた
く、日本と清を文化的に強く差別化してしまい、両者からの文化、技術の流入
を拒絶し文化的鎖国状態に陥ってしまいます。

その結果明の悪いところが、全て移入されその後約500年にわたって党派争
いに明け暮れ、骨肉の争いや中傷謀略や不正腐敗がはびこることになった。

李朝は、中国の歴代王朝を滅亡させた理由が、党争と朱子学の毒に、骨の
髄まで侵されたことを顧みる事なく、国民を際限ないまでに苦しめ、残虐をほ
しいままにしました。李朝のもとで、農民を中心とする国民は、人類史上
で最悪の搾取をこうむったといえます。

よく朝鮮人の事を「恨の文化」と言われていますが、500年間も権力者に
人命も道徳も無視され、権力の座に座ったものが、暴虐の限りを尽くされ、
法は権力者によって好き勝手に用いられ、国民は生き延びるために偽り
卑屈にならざるをえなかった。こういうことが500年間も続けば国民は
権力者を恨まずにはいられない。

李朝は、国民の生殺与奪の権利を握り、そのときどきの政権に盲従する
役人たちが、不労所得と賄賂をほしいままにして、搾取と略奪をはたらき、
国としての機能を果たさなかった。

こういった地獄の時代が500年間、日本が併合するまで続いたのです。
国民は500年間恨み心を持って生きてきたのです。まさに「恨みの民族」と
言われる所以です。

韓国政府は、この韓国人の恨み心を李朝から日本にすり替えた。1948年に
大韓民国が建国されたとき、反日主義を国是として、日本統治時代のすべて
を悪として、500年間持ち続けたぶつけようのない国民の恨み心を日本国に
すり替えました。

韓国政府は国家レベルで500年間続いたこのおぞましい李氏朝鮮の歴史を消
し去り、李朝は極楽のような社会で、誰も彼もが楽しく暮らしていた、とこ
ろが日本軍がやってきて、残酷な統治をしたと、度を超えたファンタジーを、
教科書で教えられます。

(続きは次回にて)
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