山田宏 昭和20年8月15日、海軍航空隊(当時20歳)だった私の父は厚木飛行場で終戦を迎えた。その3日前も何機もの飛行機が出撃し、帰還しなかったという。もし父がその飛行機に乗っていたら、私がこの世に生まれることはなかった。父の前に飛び立って行き尊い犠牲を払った人たちがいたから、今の自分がいる。 [政治]
山田宏 昭和20年8月15日、海軍航空隊(当時20歳)だった私の父は厚木飛行場で終戦を迎えた。その3日前も何機もの飛行機が出撃し、帰還しなかったという。もし父がその飛行機に乗っていたら、私がこの世に生まれることはなかった。父の前に飛び立って行き尊い犠牲を払った人たちがいたから、今の自分がいる。
昭和20年8月15日、海軍航空隊(当時20歳)だった私の父は厚木飛行場で終戦を迎えた。その3日前も何機もの飛行機が出撃し、帰還しなかったという。もし父がその飛行機に乗っていたら、私がこの世に生まれることはなかった。父の前に飛び立って行き尊い犠牲を払った人たちがいたから、今の自分がいる。
— 山田宏 自民党参議院議員 (@yamazogaikuzo) 2018年8月14日
2018-08-15 20:29
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