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大和心への回帰 245.日本と日本人を護る意志のない者共は消え去るのみ。 [政治]

大和心への回帰 245.日本と日本人を護る意志のない者共は消え去るのみ。
http://www.yamatogocoro.com/article/456408542.html より

東京に20数cm雪が積もった。

メディアは終日この報道で明け暮れた。
雪道や凍結した道の歩き方に注意を喚起するMCの声が響きわたる。

報道からは、日頃雪に慣れていない人々がパニック状態になっている様にも見える。
帰宅難民の話で持ちきりである。
何かしら、かつての東日本大震災勃発の日を彷彿とさせるようだ。

私が高校まで過ごした生家、信州戸隠村(現・長野市)は、冬になると辺り一面雪に覆われ、常時1m前後の雪が積もっているのは普通の景色で驚きもしなかった。

積雪が150cmを超えるくらいになると、漸く大雪という意識になったものだ。
勿論若い頃のことではあるが。

生家である信州戸隠村が別世界であることに気づいたのは、長野市内の高校に進学した時だったような気がする。
なぜならば、それまで特別な時以外は、滅多に戸隠から出る機会がなかったからだ。

戸隠は酷寒の地であり、過疎地であった。
生活は苦しく、幼少のころ父母は早朝から月夜明かりで農作業に勤しんだ。

それはわが生家だけが特別ではなく、村民の大半が同じ環境にあったため、貧困な生活もまた当たり前であった。

今にして思えば隔世の感があるが、私はそこで生まれそこで育った。
生活環境が変わり生きる世界が変わっても、その頃の経験が心身に刻み込まれて現在があることは紛れもない事実だ。

冬になると、家の前に延々と広がる畑は壮大な雪景色となり景観である。
だが、長い農閑期が始まる。

このような風情は、今にして思えば金では買えない、随分贅沢な環境だということになるのだが、それはあくまでもそこで生活したことのない人が、観光的な気分で眺めた感覚である。

定年を契機に、田舎に移住して終(つい)の棲家にしたいと憧れる人達が増えていると聞く。それはその人の生き方であるから、勿論じゆうである。

だが、外から見たのとそこで生活していくのとでは全く違う。思うほど甘くはないのだ。

そこに先祖代々棲みついてきた村人にとっては、生きるために酷寒の冬を幾多となく越えてきた命がけの闘いだったのである。。

戸隠は豪雪地でありながら、当時雪道に転倒して怪我をした…という話はあまり聞いた記憶がない。

凍結した道の歩き方などは、誰に教えられなくても、生活のなかで自然に身についていたからであり、大雪になったからといって、大騒ぎになったことはなかった。

当時とは時代が変わっているので、同次元で語ることはできないが、過酷な環境で生きていくためには、無意識の内に自ずとそれに適応し、順応する努力をしているのである。

そこから生まれるのが知恵である。
知識は必要であるが、それを生きるために生かせなければ何の役にも立たない。

知識を翳(かざ)して、もっともらしくひけらかす輩が、しょっちゅうメディアに出没するが、経験を伴わない識者などというのは、弊害以外の何者でもない。

知識は、学問から得るものよりも、長い人類の歴史の中で、生活環境を克服する自然との闘いから習得して生まれた知恵を学ぶことの方が肝要である。

20cmあまりの積雪でパニック状態になった東京を見ていると、ここに万一北のミサイルが着弾したらどうなるのだろうかと、思わず考えてしまうのはおそらく私だけではあるまい。

わが国にとって最大の敵は、日本が無防備でいることを言葉巧みに洗脳する勢力だ。

何が平和憲法だ。何が戦争法案だ。
言葉で真実を撹乱するな、ということだ。
護憲を推進する勢力、テロを防止する法律に反対する勢力。

日本と日本人の生命と財産と国土を護る意志のない者共が、今日もまた評論家面をしてのうのうとテレビに顔を出している。

日本乗っ取りを画策する歴然とした特亜傀儡の政治家どもが、今日もまた平然と国会で国益の邪魔をしている。
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