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中韓を知りすぎた男 「人生には必ず第二幕がある」 2018年1月5日

中韓を知りすぎた男 「人生には必ず第二幕がある」 2018年1月5日
http://kkmyo.blog70.fc2.com/blog-entry-1137.html より

あけましておめでとうございます。

年末、ブログ復活の予告にたいして多くの方よりコメントを頂き
只々感激しております。懐かしいお名前も数多く拝見して勇気が湧いて
きました。その中でもいつも見識高いコメントをお書きになっている
ナポレオン・ソロ氏の文面を見て衝撃を受け、深く心を痛めています。
そこで今日は政治・経済を離れて私の2017年以前を総括してみます。

私も9年前、町医者でPSA(前立腺がんを疑う目安となる数値)が
5以上あると言われました。別にPSAの数値を計ってほしいと頼んだわ
けでもないのに、医者が気を利かして血糖値測定のついでにPSAの数値も
計った。ちなみに医者が言うには「PSAが4ng/ml以上10ng/mlの場合は
グレーゾーン」といわれ、陽性とは確定されないものの、より詳しい検査が
必要です一度大手の病院で針生検を受けてください。針生険をする場合
2~3日の入院が必要です」と言われました。

当時(2008年)は人生の第二幕を想定して、4つあった会社の一つ
(父親が創設)を弟に譲り、二つ目は韓国に設立した会社で支社長をして
いた韓国人に譲り、三つ目はノベルティー専門の会社を解散、四つ目は
女性ばかりの17人の会社を経営していました。この会社の販売先は60%
全国の生協で、製造は中国やスリランカで、かなり利益を出していました。
当時この4つの会社を迷惑の掛からないように静かに引退して第二幕を上
げるべく準備をしていました。つまり忙しくて入院などしている場合では
なかった。

大手病院にいる娘が「一度私の病院でPSAの数値を計ってみる必要がある」
と娘に言われ仕方なしに行きました。5年ぶりに計ったPSAの数値は11も
あり、娘に「早急に針生険をして確認をする」と言われました。ほとんど
前立線癌だということです。しかし娘の助言を無視して、覚悟を決めて大手
病院も町医者も行くのをやめました。

私はその時すでに70歳になっていました。十分に生きた。癌治療をして
2~3年寿命が延びてもその間、癌治療の抗がん剤で苦しむくらいならこの
まま静かに死を迎えたいと考えました。私は人生には必ず第二幕はあると考
え、65歳を起点に事業を全てやめて自分自身を作り替えるべしで、仏教哲学
の勉強を始めるつもりでした。商売で追い立てられて一生を終えたくなかった。
しかし実際は会社を整理するのに約5年間、私は70歳になっていました

その前から、中国で痛い目にあっている中小企業のために、私の経験上、
中国の実体とその恐ろしさを分かってもらいたくて、57歳頃からブログ
で中国での工場経営のノウハウと中国人の正体を暴いていました。

私のブログを株式会社主婦の友社の国際室室長「林定昭氏」がよく見ら
れていて、「是非とも出版したい」と言われ、喜んでOKしましたが、
結局半年後独立した林氏の株式会社メトロポリタンプレスで出版しました。

私が考えていた第二幕の内容「仏教哲学の勉強」ではなく、いつの間にか
生意気にも政治・経済・歴史の文筆業に変わっていっていました。
それというのも偶然計ったPSAの数値によって前立線癌の疑い有と言われ
てから命の時間を75歳前後と決めていました。それ故、常に背水の陣の
つもりで、追い立てられる気持ちで書き綴っていました。

2017年75歳誕生日の2か月前、突然排尿時に強烈な痛みを伴って血尿が
でました。町医者で見てもらったら「膀胱に石がたまっている、尿道を通
るときに痛みと血尿が出る」とのこと、後日大手病院の紹介状もらって行
きますと即刻入院と手術を言われました。

内容は膀胱腫瘍切除,その際ついでに前立腺切除と針生険をするとのこと。
当日手術の際、若い医者は私の背中にする下半身麻酔注射を2回失敗、
慌てて老練の医者を呼んできて相談、老練の医者は担当の若い医者に全身
麻酔を指示しました。

ところが私は運悪く風邪を引いていて熱が38度もあり頻繁に咳が出て血圧
も異常に高かった。入院の前日「その体調では、下半身の麻酔は何とか
大丈夫だが、もし全身麻酔を言われたら断りなさい」と娘に言われていました。

老練の医者が全身麻酔を私に告げた時、その医者に「このような体調不良
で、全身麻酔をしても大丈夫ですか?」と言ったら、手術前の私の数値を
見て慌てて若い担当医を手術部屋から連れ出しました。3分くらいで戻って
きて怒った声で手術中止を私に告げました。

翌朝退院するときに若い担当医に「体調が戻れば、もう一度見てもらいます」
と告げて家に戻りましたが、しかしその病院で手術する気は全くありません
でした。その後、尿道を石が通ることもなく、平気で毎日を過ごしています。

「前立腺がんの疑いがあり」と町医者から言われてから既に9年が経って
います。その時点で命の時間を75歳と決めていたのです。しかし75歳に
なっても癌の兆候が一向に現れません。はっきりさせる為に大手商社が
経営している大阪の住友病院にいって調べてもらいました。初めて紹介で
行った住友病院の受付は、天井が高く明るくて、まるで一流ホテルのフロ
ントデスクのようでした。

住友病院の医者に10年間の過去の経緯を話して、もし癌ならば命の残り
時間を調べてくださいとお願いしました。医者は手順として、まず癌検査
の前段階でPSAの数値を計って見ましょうと言われました。
癌の疑いがありと言われてから既に9年が経っている以上トンデモナイ
数値が出てくる可能性があります。ちなみに20ng/mlを越えると前立腺
がんの確率は90%パーセント以上となり、既にリンパ節などに転移して
いる可能性もあるとのこと。

ところが、ところがですよ、出てきたPSAの数値が5だったのです。
もちろん4以上は前立腺がんの可能性はありますが、医者が言うには
「もし癌なら11が5に下がったりしないが、はっきりさせる為に
針生険をしますか?」と笑みを浮かべながら私の顔をみました。そして
医者は「PSAが5以上あるということは貴方が前立腺肥大だからです。
老年になれば80%が前立腺肥大です」

つまり癌の疑いが限りなく薄れたのです。75歳に設定した命の時間を
父親がなくなった85歳に設定しなおしました。神様に命の時間を10年間
いただいたのです。以上が2017年の病院顛末記です。

去年2017年は何もする気が無く1年が無為に過ぎていきました。ソロ氏が
感じた「人生の谷」に私も居たような気がしています。ソロ氏が自分の
不運を「朝の来ない夜はない」と言い切ったように、世の中には、幸福も
不幸もありません、ただ考え方でどうにでもなります。
生きることの最大の不幸は明日に依存して今日を失うことだと思います。

2018年最初のブログは、政治を離れて私の病院顛末記を書いてみました。
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