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大和心への回帰 265.品格 [政治]

大和心への回帰 265.品格
http://www.yamatogocoro.com/article/463581419.html より

新年を迎えて、早くも10日過ぎようとしています。
記事の更新が思うに任せない状況が続く中、連日多くの方々からご訪問賜り、深く感謝申し上げるのみです。

昨年来から続いている国内外の混沌とした情勢は、新年を迎えて改めて歴史的な変革の到来を予感するものである。

それは「日本を取り戻す」予兆であり、改めてそれは何であるのか、何であったのか、原点に回帰したいと考えた。これも元号が変わる平成最後の新年という節目を迎えたからであろうか。

”日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、この誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた。「論理」と「合理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止めることはできない。いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。”

これは、既に発刊から14年近く経過している藤原正彦著「国家の品格」発売時の紹介文の一部抜粋である。

弱肉強食、生殺与奪が地球に生息する生物の本能であり、人類の歴史であったことは紛れもない事実であり、それは姿形を変えながら現在もそして未来も変わることはないであろう。

だが人間であるから、理性によって欲望を抑え、知恵を振り絞りながら「平和」というテーマに向かってきたのが人類の歴史だったはずである。

だがそれはどれだけ時間が流れても、どうやら無理なようである。

時間の経過によって「平和」に向かう知恵が進歩するならば、遠い一万五千年前に争いもなく、長きにわたって人間の心を体現し続けてきた日本人のルーツてある縄文人は、現代人の社会よりも遥かに優れていた…という歴史の事実を説明できないということになる。

時間の経過と共に進化したのは、物質文化であったが「我先に」「我だけが」という我利我欲が先行し、精神文明の方は退化の一途をたどり続けたというのが人類史の実態ではなかったのか。

しかしここにきて、どうやら我欲を優先するための欺瞞や嘘は、手痛いブーメランとなって我が身に突き刺さって来るようになってきた。
我欲を満たすために欺瞞や嘘で他人を他国を貶める者、勢力、国家は、確実に手痛いしっぺ返しを食らうようになってきたのである。

政権を批判することが仕事だと勘違いし、ペンひとつで世論を動かせると錯覚してきたマスゴミ然り。

対案もなく、国益よりも我が身を優先。ひたすら政権を批判し貶めることが使命だと、国賊と化している反日野党然り。

事実を曲げ、約束ごと反故にすることは常套手段。ゆすりたかりと詐欺まがいの外交でわが国を貶め続けてきた某隣国然りである。

このような人種は未だに睡眠状態で、旧態依然とした手法が通用すると勘違いしたまま、どつぼにはまっている。
なぜどつぼにはまっているのか理由もわからず、自信満々に歩く姿は滑稽でもあり哀れでもある。

”論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。”

物質主義に汚染され切ってしまい、我欲のためには何でもあり。礼も品格もない勢力や国家は行き詰まっていくしかない。

「日本を取り戻す」のは「品格」を取り戻すことであり、品格なき国家が国際社会のリーダーシップをとるのは困難な時代に入った。

なお、いただくコメントは原則として登載させていただく方針ですし、批判や主張を拒絶することはありませんが、ただし他を必要以上に貶めたり、品格に欠けると判断した投稿は削除させていただきます。
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